-
-
「現代アートとはなにか?」
ひとえに「現代アート」といっても「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)」とアートフェアに並ぶ作品やNFTアートとではまるで違う。もはや「現代アートとはなにか?」という問い自体が空転してしまうような状況が加速していると言っても過言ではない。そんな中で僕はコンテンポラリーとしての現代アートではなく、日本の戦後の前衛美術や美術評論、そして日本固有の美術のあり方に照準を合わせて活動してきた。けれども2019年頃からそんなあり方にも限界を感じるようになった。これは「美術」を「アート」と呼ぶか否かといった言葉や定義をめぐる日本特有の文芸に紐づいた美術批評の問題ではなく、もっと切実なものだった。美術で何をしていいのかわからなくなったのだ。その頃から僕は美術界のあれこれを忘れるべく陶芸にのめり込むようになった。陶芸であることに理由はなかったが結果的にそれが転機をもたらすことになった。
広く知られているように19世紀末に「美術」という概念が日本に移入され美術制度が整備されていくなかで絵画、彫刻などを「純粋美術」、実用性、有用性が備わった工芸やデザインや建築は「応用美術」とされた。その区分は「美術」の権威性を担保していくこととなった。現在ではそんなヒエラルキーこそ弱まっているものの、美術館の蒐集方針や工業生産と美術を橋渡しする「工芸」という言葉がすっかり定着していることからも明らかなように基本的な構造は変わっていない。さらに2000年代に入ってからはアートマーケットにおいて陶芸が一定の人気を得ているがそこには陶芸と美術の関係を省みるような動きはほとんど見られず、たんにプロダクトやインテリアとしてコレクターに消費されているだけのように見える。映画「もののけ姫」に登場する乙事主(猪神)のセリフ「このままではわしらは、ただの肉として狩られるようになるだろう(要約)」と重なるところがあるように思う。しかし、だからといって陶芸もしっかりとしたコンセプトを掲げて「アート作品」にしないとダメだということを言いたいわけではない。アートマーケットに翻弄されているのは陶芸というよりも定義すらも曖昧になりつつある美術の方である。美術も陶芸も市場がないと作家は生きていけないが、誰に売れたとかどれくらい売れたかといったセールスの話題ばかりが先行してしまっては本末転倒だろう。またアートマーケットと距離をおく作家も美術大学の教員枠や助成金獲得をめぐる別のサーキットの中で悪戦苦闘している。それも含めて巨大なアート産業の歯車の一部なのである。
-
信楽へ
僕は一昨年から六古窯のひとつである信楽に拠点を構え作陶している。信楽でつくられる「信楽焼」は信楽の良質な粘土を登窯で焼成することで緋色や灰の自然釉であるビードロ釉、焦げを有した渋い陶器である。また信楽の土は、耐火性、可塑性に優れ強度があるので「大物づくり」に適している。「信楽焼」の売り文句である「人と土と炎の共演」といったフレーズは、人の手が生み出す味わいと窯での焼成による偶然性は唯一無二のものであるということを指している。つまり固有性にこそ価値があると。これは絵画作品において作家独自の筆触や色づかいがことさら求められるのと同じである。それだけではない、より良い社会のために変革を求めるアートアクティビストたちも政治的な達成以上にその過程での失敗や葛藤こそが政治運動家とは違いアートの営為として計上されていると言える。つまり、人間の生む固有性や味わいは広く通底している価値なのだ。
信楽は製陶業の街である。個人の陶芸家がつくる伝統的な「信楽焼」よりも大きな製陶所が量産している器や傘立て植木鉢や狸の置物などの割合の方が圧倒的に多い。さらにタイルやレンガといった建材に至るまで街中がセラミックで溢れかえっている。信楽の製陶業の多くは量産と言っても半分は陶工の手による手作業である。敢えてすべてを機械化しないことでひとつひとつに固有の味わいが適度に宿るようになっている。しかしそれらは作品としてではなく製品として流通している。信楽で生活し作陶していくなかで「つくる」とは個人に帰属するものだけでないとあらためて気づかされた。
話はかわるが、僕と上田さんは一昨年の秋に信楽で出会った。僕も上田さんも当時は訳あって2人とも人生に疲れ果てていたが、次第にお互いの作品を見せ合う仲になった。わたくしごとで恐縮だが僕はいわゆる「作家友達」というものがとても少なく、上田さんは久しぶりにできた作家友達と呼べる存在だった。とはいえ普段から頻繁に連絡を取り合うほど近しい関係ではなく共通の話題は陶芸だけだ。上田さんの作品は手仕事による味わいよりも土のポテンシャルや焼成による偶然性を極限まで引き出すことを念頭におかれている、いわば小さな実験場だ。実は粘土と釉薬を分かつのは成分の比率の違いでしかない。上田さんは陶土と磁土も釉薬も等価なものとして扱い区別することなくブレンドし、収縮率や耐火度の異なる素材をミルフィーユのように重ねて成形する。土は上田自身が山から採取してくることも多いがそこに混ぜる長石をはじめとする鉱物は陶芸材料メーカーから購入する。陶芸家は製陶業のインフラが整っているからこそ少量から気軽に手にすることができるのだ。つまり個人の陶芸家のほとんどは量産品をつくる製陶業の余剰に支えられているのである。また上田さんの作品は溶岩が冷えて固まったような複雑な表情と形を有しているがそれは表現主義的な衝動ではなく、むしろ材料工学のような緻密な計算と伝統的な陶芸家の勘の融合によって生み出される。
壺や卵型のもの、泥団子など主題は極めてオーソドックスだが、やきもののセオリーと逸脱の間を行き来しながら実用性の低い作品をつくる。実用性を排することでオブジェの要素が強化され「純粋美術」の領域に踏み込んでいる。上田作品は器としての実用性を捨て去りアート作品として最適化していると言えるだろう。
作家の営みを「自然」や「火と土と人の心」といったワードで神秘化することで製陶業や窯業などの作家を支えるインフラや土壌は覆い隠されてしまう。さらにSDGsが謳われる昨今、どんな言い訳をしようとも実用性の低い「純粋美術」としてのやきものに正当性はない。だからこそ、たんに作家のつくりたいという衝動と富裕層のアート作品が欲しいという欲望だけが噛み合って完結してはまずい。アート作品には「お金儲け」という実用性しかないことになってしまう。人と人、物質とそこにかけたエネルギーの間に等価交換なんて成立しない。信楽の陶工は風変わりなものを「へちもん」と呼ぶ。まさに僕も上田さんも「へちもん」をつくる作家だ。けれども「へちもん」が存在するためにはちゃんとした秩序や下部構造が不可欠なのだ。逸脱(アノマリー)も奇々怪々な所業もつねにその上にしか成立しないことを忘れてはならない。
梅津庸一
-
上田勇児作品
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
Yuji Ueda, untitled, 2022
-
-
梅津庸一作品
-
Yoichi Umetsu, Sleep in the Sky, 2022
-
Yoichi Umetsu, Sleep in the Sky, 2022
-
Yoichi Umetsu, なだらかな段丘 / Rolling Terraces, 2022
-
Yoichi Umetsu, ふれあい / Meeting, 2022
-
Yoichi Umetsu, アイスドーム / Ice Dome, 2022
-
Yoichi Umetsu, クリスタルパレス / Crystal Palace, 2022
-
Yoichi Umetsu, ビルボード / Billboard, 2022
-
Yoichi Umetsu, ビルボード / Billboard, 2022
-
Yoichi Umetsu, ビルボード / Billboard, 2022
-
Yoichi Umetsu, ボトルメールシップ / Message Bottle Ship, 2022
-
Yoichi Umetsu, ボトルメールシップ / Message Bottle Ship, 2022
-
Yoichi Umetsu, ボトルメールシップ / Message Bottle Ship, 2022
-
Yoichi Umetsu, ボトルメールシップ / Message Bottle Ship, 2022
-
Yoichi Umetsu, モダンな壁 / Modern Wall, 2022
-
Yoichi Umetsu, レンコン状の月 / Renkon-Shaped Moon, 2022
-
Yoichi Umetsu, レンコン状の月 / Renkon-Shaped Moon, 2022
-
Yoichi Umetsu, レンコン状の月 / Renkon-Shaped Moon, 2022
-
Yoichi Umetsu, 受け皿 / Receiving Saucer, 2022
-
Yoichi Umetsu, 受け皿 / Receiving Saucer, 2022
-
Yoichi Umetsu, 受け皿 / Receiving Saucer, 2022
-
Yoichi Umetsu, 吊り橋 に差し込まれた2枚の反射板 / Two Reflective Panels Inserted Into A Suspension Bridge, 2022
-
Yoichi Umetsu, 干からびたドーム / Dried-Up Dome, 2022
-
Yoichi Umetsu, 月光スタンド / Moonlight Stand, 2022
-
Yoichi Umetsu, 月光スタンド / Moonlight Stand, 2022
-
Yoichi Umetsu, 未来の王国 / Kingdom of the Future, 2022
-
Yoichi Umetsu, 水玉劇場 / Polka-dots Theatre, 2022
-
Yoichi Umetsu, 粘膜殿 / Temple of Mucous Membranes, 2022
-
Yoichi Umetsu, 通称「トリカゴ」 / Commonly Known As A "Bird Cage", 2022
-
Yoichi Umetsu, 通称「トリカゴ」 / Commonly Known As A "Bird Cage", 2022
-
Yoichi Umetsu, 霊気のターミナル / Spirit Terminal, 2022
-
Yoichi Umetsu, 風が絡まる家 / A House That Ensnares Wind, 2022
-
Yoichi Umetsu, dizziness, 2023
-
Yoichi Umetsu, ふるさと / Hometown, 2022
-
Yoichi Umetsu, ぼんやりと大きく / Vague and big, 2022
-
Yoichi Umetsu, ダイヤを並べて / Lining up diamonds, 2022
-
Yoichi Umetsu, フェンスと水玉 / Fence and polka dots, 2022
-
Yoichi Umetsu, モダンな壁紙 / Modern wallpaper, 2022
-
Yoichi Umetsu, 合流点 / Junction, 2022
-
Yoichi Umetsu, 夢と火球 / Dreams and fireballs, 2022
-
Yoichi Umetsu, 幾何学模様と雨模様 / Geometric and rain patterns, 2022
-
Yoichi Umetsu, 想像力の網 / Web of imagination, 2022
-
Yoichi Umetsu, 斜陽産業 / Sunset industry, 2022
-
Yoichi Umetsu, 日日是好日 / Every day a good day, 2022
-
Yoichi Umetsu, 暗い物語 / Dark tale, 2018-2022
-
Yoichi Umetsu, 桃源郷 / Shangri-la, 2022
-
Yoichi Umetsu, 水晶宮 / Crystal Palace, 2022
-
Yoichi Umetsu, 水玉模様 / Polka dots, 2022
-
Yoichi Umetsu, 沈む日 / Setting sun, 2023
-
Yoichi Umetsu, 海月のように / Like jellyfish, 2022
-
Yoichi Umetsu, 窯業と芸術 / Ceramic industry and art, 2022
-
Yoichi Umetsu, 結晶水 / Crystalline water, 2022
-
Yoichi Umetsu, 結氷 Ice formation, 2022
-
Yoichi Umetsu, 絵付け Etsuke, 2022
-
Yoichi Umetsu, 脇道に逸れる Swerve off the road, 2022
-
Yoichi Umetsu, 良心の呵責×2 Pangs of conscience x2, 2022
-
Yoichi Umetsu, 表現と現象 / Depiction and Phenomenon, 2022
-
-
インスタレーションビュー
-
作家略歴
上田勇児
1975年滋賀県生まれ。信楽在住。
上田は「朝宮茶」を栽培する上田農園の家に生まれた。「日本六古窯」のひとつに数えられる信楽で作陶を続けており、10年ほど前に村上隆と出会って以降はカイカイキキギャラリーをはじめとする有力ギャラリーを主な発表の場としてきた。上田作品は伝統的な器の系譜を引き継ぎながらも、素材のポテンシャルを限界まで引き出そうとしている。それによって器としての「実用性」がそぎ落とされ、現代アートにおける「オブジェ」としても機能する焼き物に仕上がっている。同業者からの評価も高い。
主な個展
2022年「上田勇児展」草月会館、東京
2020年「種を拾う」Kaikai Kiki Gallery、東京
2018年「ひびき合う土の記憶」 Kaikai Kiki Gallery、東京
2012年「上田勇児 すなば展」サンドリーズ、東京
主なグループ展
2021年「芸美革新」Perrotin、パリ
2020年「Healing」Perrotin、パリ
2015年「浜名一憲、上田勇児、大谷工作室」Blum & Poe、ロサンゼルス
2012年「アラウンド ザ『壺中天』」Hidari Zingaro、東京
作品集
『上田勇児:種を拾う』(Kaikai Kiki、2021年)
-
梅津 庸一
1982年山形県生まれ。相模原、信楽を拠点に活動。
梅津は「美術とはなにか?」、「つくるとはなにか?」という根本的な問いにさまざまな角度から挑んできた美術家である。絵画、パフォーマンスを記録した映像をはじめアートコレクティブ「パープルーム」の主宰、非営利ギャラリーの運営、キュレーション、テキストの執筆とその活動は多岐に及ぶ。近年では信楽にも拠点を構え陶芸にも取り組んでいる。昨年、信楽で開催した「窯業と芸術」は製陶所や作家、町の人々との結節点を見出す試みだった。
主な個展
2022年「緑色の太陽とレンコン状の月」タカ・イシイギャラリー、東京
「窯業と芸術」gallery KOHARAほか、滋賀
2021年「ポリネーター」ワタリウム美術館、東京
「平成の気分」艸居、京都
2014年「智・感・情・A」ARATANIURANO、東京
主なグループ展
2023年「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」森美術館、東京(予定)
2022年「MAMコレクション016:自然を瞑想する―久門剛史、ポー・ポー、梅津庸一」森美術館、東京
2021年「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019(パープルーム《花粉の王国》)」京都市京セラ美術館、京都
「絵画の見かた reprise」√K Contemporary、東京
2020年「梅津庸一キュレーション展 フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」日本橋三越本店 本館6階 コンテンポラリーギャラリー、東京
2019年「企画展 百年の編み手たち -流動する日本の近現代美術-」東京都現代美術館、東京
2017年「恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画」ワタリウム美術館、東京
作品集
「ラムからマトン」
主な所蔵先
JAPIGOZZIコレクション
高橋コレクション
愛知県美術館(名古屋・愛知)
山形美術館(山形)
東京都現代美術館(東京)
森美術館(東京)
-
アーティスト写真提供: 守屋友樹
作品写真提供: 高橋宗正、むら写真事務所
展示風景写真提供: 村田冬実、Kanda & Oliveira画像の無断使用はご遠慮ください
上田勇児・梅津庸一: フェアトレード 現代アート産業と製陶業をめぐって
Past viewing_room