八田豊: Sound and Vision
Past exhibition
このたびKanda & Oliveiraでは八田豊の個展「Sound and Vision」を3月16日(土)から4月20日(土)まで開催いたします。本展では、カーヴィング作品、触覚と聴覚をたよりに制作した絵画作品、そして越前の地場産業に関連した和紙や楮を用いた作品を中心に約20点を展覧いたします。
1930年に福井県に生まれた八田は、戦後、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)を卒業し、50代までは教員生活を送りながら、制作を続けてきました。福井という中央とは距離のある場所で、「北美」や国際丹南アートフェスティバルをはじめとする芸術運動と、自身の作品制作を行き来しながら、今なお福井から発信する文化運動に尽力しています。
八田は欧州の亜流ではない独自の表現を模索するなか、30歳のときにキャンバスや絵筆を燃やし油画を捨てるという自己革命をして、刻むというカーヴィング作品にたどりつきました。円の重なりによるデザイン的な視覚効果は荘厳さを感じさせ、近づいてみてとれる素材感や手仕事の跡からは温かみさえも感じ、八田の代表的な表現となりました。
しかしその後、病により50代で失明し制作を諦め、教員も辞めざるをえない時期を迎えましたが、再び絵の具を手にし、指先の感触や流れる音をたよりに制作を開始しました。八田は、視力を失ってからは手で視るようになったと言います。そして、地場産業である和紙や、原料である楮などをキャンバスや板に貼りつけた作品を制作するようになりました。八田は質感から紙を用いたのではなく、作品制作を取り巻く環境・産業に目を向け、作家の制作からは見えてこない土台をきちんと取り上げたいという考えからでした。そして、伝統的な使用法に使い慣らされた和紙という素材をその伝統から解き放つために、現地でしか手に入らない楮に行き着いたのです。
視力を失った後の作品タイトルに「流れ」との言葉が多くありますが、これは作品から受け取る視覚的な流れのことではないと八田は言います。人生の「流れ」であると。その流れの中にいる自身の心の支えは、心の交流だと。師や盟友の死に続いて自身の失明という絶望の淵に立たされ、無常を見つめた八田にとって、自身の理念が伝播していくことに永遠性を求めているのだと思います。本展を通して八田の理念を受け取る人がひとりでも多くなることを願っています。
会期中の4月6日(土)13時から、八田豊本人と永宮勤士氏(茨城県天心記念五浦美術館学芸員)によるイベントもございます。東日本では八田の個展が催されることがほとんどないため、是非この機会にご高覧いただきたくお願い申し上げます。
協力:LADS GALLERY、シマカワヤスヒロ、Switchback
1930年福井県今立郡(現・鯖江市)生まれ。越前市(旧・武生市)在住。
戦後、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)を出たのち、中学の教員をしながら油画作品を制作をしていた。当初はキュビズムや構成主義の様式が作品に見られたが、作品は次第に抽象化を強めていき、古九谷の図案や装飾古墳など日本の古い文様に触発され、円のモチーフが多く見られるようになった。しかし前衛芸術を追求する八田は独自の表現に達するためには過去との決別が必要だとし、既得の手法である絵筆を捨て、描くことをさえも否定し、大きな転換点を迎えた。そして1960年代半ば、建材や金属板に彫刻刀やタガネで幾重にも重なった円を線刻する「カーヴィング」作品を編み出した。四角い画面の中で緊張感のある構図に配置された幾何学模様、彫られた線そのものが織りなす陰影、視覚的なモアレ効果など、その実験的な作品から、福井という地方都市から全国にその名を知られるようになった。
しかし、カーヴィングの制作は八田の目に多大な負担をかけ、視力は徐々に低下し、80年頃には視力を完全に失うにまで至った。カーヴィング手法をとることが困難になったどころか、制作そのものから離れることになったが、数年後には再び制作を再開した。キャンバスの上を流れる絵具の音を頼りにしたシリーズ「流れより」など、聴覚や触覚を使った絵画制作を再開した。強靭な精神力を持った八田ではあるが、作品の前で当時を振り返るとき、八田はその手で画面に触れながら、苦しみながら模索していた感覚が今なおよみがえると感情をあらわにする。1990年代からは絵具ではなく和紙やその原料の楮(こうぞ)など、地元越前の地場産業を支える素材を使った平面作品を制作しはじめ、キャンバスにはりつけられた楮の樹皮の力強さが現れたシリーズ「流れ」は八田の代表作となり、今なお制作を続けている。
また一方で、批評家の土岡秀太郎が中心になって推し進めた北美文化協会による美術運動の流れを継ぎ、80年代から「現代美術今立紙展」を、90年代から「国際丹南アートフェスティバル」などを中心になって開催し、地方からの文化運動を推進してきた面も特筆すべき点だ。活動は国内だけにとどまらず、紙文化を通じた韓国の美術家たちとの深い交流をはじめ、イタリアでの個展、アメリカ、フィリピン、ブラジル、イスラエル、スウェーデン、ドイツでの展覧会に若い作家らと参加するなど、地方から中央を介さず直接に世界と繋がることを推しすすめてきた。
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